前回のブログ「“別大マラソン”だ!」に書いた通り、今回の“別府大分毎日マラソン”は万全のコンディションで臨めなかったが、ナンとか「サブスリー」は狙えそうなレベルまでは仕上げていた。ここ数年、フルマラソンのタイムを自己評価する時には、
200点:自己ベスト(2時間47分19秒)更新
100点:~2時間48分47秒未満(4'00"/kmペース)
90点:~2時間50分未満
80点:~2時間55分未満
:
60点:~3時間00分未満
不合格:3時間00秒以上
‥ぐらいを目安にしていたので、今回は最初から合格点ギリギリを狙うしかない状態だったが、事情が事情だっただけにタイムだけではなく、
「どれだけ、キツさに立ち向かえるか?」
と修行のつもりで出走した。
εεεヘ(;`~´)ノ
当日朝の天気予報では、大分市は曇り、最高気温3度、強風・波浪の注意報も出ていた。
「最高気温3度!?」
数年に一度の大寒波の襲来だった。
(((*:;;;:*)))
ウェアーは文句無しに防寒重視のモノを選んだ。
‥そして朝、大分市内のホテルを出る時には雪が降っていた‥
【レース】 click!!⇒リンク先:大会ホームページ
正午前、高崎山のふもとにあるスタート地点「うみたまご」は、青空が顔を覗かせる曇り。陽が差し込んだ時には暖かさを感じたが、時折強風が吹きつけてもいた。
「意外と寒くないカモ?」
チョッと安心しながらも緊張し、プレラインナップしてスタートの時を迎えようとていた。
正午、スタートの合図で、片側三車線の道路イッパイに拡がった大集団が、4'00"/km 前後のスピードで走り出した。毎回のことだが、圧巻の光景である。市民大会とは違い、混雑していてもストレスが少なく走り出せるのにも「国際大会」とも呼ばれている大会に出場しているのだと、優越感を感じていた。
スタートから下りが続くので、
「オーバーペースか?」
と勘違いしそうになるがそうでは無い。しばらくは、周囲の選手と接触しないように気を付けながらも呼吸のキツさを確認し、自分のペースを探っていた。別府駅周辺まで来ると、大勢の方から声援を送って頂いた。感謝しながらも走りに集中し、徐々にバラケてきた集団を利用し風を避けていた‥心配していた風は、集団の中では影響なかった。
start~5km-20:14 / 710位 ※以下、5km毎ラップタイム / 通過順位(参考:「応援ナビ」:No.772)
時々、向かい風が強く吹きつけていたので、集団で走っていた。何度かコースの最短距離を走ろうとカーブの内側を狙って集団から離れることもあったが、それには勇気が要った。
持ちタイム「2時間49分」でエントリーしたので、周囲の流れに乗ってしまうとオーバーペースになる(スタートは持ちタイム順に整列)。現時点での自分の実力は「3時間ギリギリ」だと練習で分かっていたので、身体の状態を確認しながら「キツ過ぎず」「楽しない」ペースで走る様に心掛けていた。ドンドンと後方からの選手に追い抜かれていたが、ここで張り合っては失敗レースになるのは明らかだった。
大きなアップダウンを過ぎて第一折り返し点を通過すると、すぐに10km 地点だった。
5km~10km-20:37 / 843位
折り返してからは左後方からの追い風になった。正面から陽が当たり、視界を眩しく感じながら身体の状態とフォームに集中していたが、
「予報よりも暖かいのかなぁ?」
っと、
「防寒重視のウェアーでなくて良かったのか?」
と思いながら、
「『機能性タイツ』は、筋肉の無駄な振動を抑制し疲れ難くするのだ!」
っとウェアの機能の恩恵を信じようとしていた。‥けれど、
「もうレースでは履かない方がイイなぁ」
と脚の動き難さを少々後悔していた。
(;´・ω・)
折り返してからは風の影響があったので、ラップタイムを気にし過ぎないようにし、その分、身体の状態に集中しようと心がけた。
10km~15km-20:20 / 881位
スタート地点の「うみたまご」が近づいてきた。かなり追い風に助けられているのを感じていたが、ラップタイムがそれほど良くなかったので実力の低さを改めて体感していた。
liliεεヘ(;-_-)ノilil
「うみたまご」を過ぎ、改めて疲労度を確かめたが気になる点は無かったのに、脚が回っていないと感じていた。
15km~20km-20:35 / 891位
中間地点を通過した時、疲労感覚とは別に脚の回りが更に悪くなってきたので、その状態で残り半分をイーブンペースで走れそうなペースを探った。
「後半は大きく遅れちゃうのかなぁ?」
キツ過ぎても楽過ぎてもイケない。甘えない様に徐々に意識してペースを落としたが、これには勇気が必要だった。
(15km~中間点-4:32 / 902位)
別府湾を見渡しながら気晴らしもしていた。海は濃い青さで美しく広がっていた。改めて、このコースを走っている有難さを感じ、徐々に体力的にもキツくなってきたのも感じ始めていた。
20km~25km-20:43 / 920位(中間点~25km-16:11)
随分と追い抜かれていたが、実力以上の走りは出来ないので自分の走りに集中し、一歩一歩フォームを確認し、少しでもロスを減らそうと集中していた。
「塵も積もれば山となる‥」
「丁寧に、丁寧に!」
「正確に、精密に!」
体力不足は、技術と気力でカバーするしか無いのだ。
27km 辺りでかなり苦しくなり、呼吸に声が混ざり始めた。
「残り15kmを潰れない様に!」
っと、持続できるキツさで走っていた。弁天大橋を超え、更に30km 地点を通過した。
25km~30km-20:59 / 916位
徐々に失速してくる選手が目立ってきた。彼らの様にならない為に、ここまでペースに気をつけてきたのだ。が‥どうしてもペースは落ちていた。
追い風も感じられなくなっていた。コースが海から離れたので、風が弱まったようだ。これまで平地の直線はほとんど無かったが、弁天大橋(29km 位)を過ぎてからは一直線のコース。中央分離帯の街路樹が遠くまで続いていた。
1km 毎の距離表示を通過しながら、残りの距離と体力とを天秤にかけていた。
「キツ過ぎないか?」
「無理していないか?」
「最後まで持つのか?」
「楽していないか?」
身体をみつめ、自問自答を繰り返していた。
第二折り返し点を過ぎてようやく35km 地点までやって来た。
30km~35km-21:31 / 897位
ずっと、声を出しながら激しい呼吸を続けていたが残り7km を過ぎると、
「このままフィニッシュまで持ちそうだ!」
と完走がみえてきた。練習での感覚を思い出して、そう感じたのだ。
「ここからが頑張りどころだ!」
「楽して完走しては意味が無い!」
「追い込め!」
追い風の恩恵は感じ難いのに、向かい風がハバカるのは大きく感じるのは何故だろうか?
やはり風は吹いていた。そして行く手を阻んでいた。ここまで背中を押していてくれた強風が、最後になって足かせに変わってしまったのだ。が、風は気まぐれで強弱をつけて間欠的に吹き付けていたせいか、こちらは闘志に火が点いた。
呼吸に混じった声は益々大きくなっていたが、ペースを上げようと必死だった。
ラスト5km の表示を通過すると、
「落とすな!」
「負けるな!」
「前へ、前へ!」
っと、自分に発破をかけてキツさに立ち向かった。ここまでのレース展開を、ドブに捨てる様な終わり方にしたくないと思っていた。
やがて前方のガード下に40km 地点の表示が見えてきた。
「ここまで来たぞ!」
「行け!イケ!」
「全部出し切れ!」
呼吸は更に激しくなり、喘ぎ声も大きくなった‥っと、その時‥ふと痛い脚を更に強く路面に叩きつけ、全精力を出し切ろうと必死に頑張っている自分に気がついた。すると‥
‥涙がにじみ、喘ぎ声と呼吸がリズムを乱して‥
‥むせび泣いている様な声を上げていた‥
不覚にも、レース中に自分の姿に自分で感動して泣いていたのだ。40歳を過ぎた頃から「スポ根」モノに涙もろくなっていたが、コンなところで自分に感動して感慨に浸っている場合じゃ無い!
ここからが勝負だと、頭と胸に熱さと白い光が差し込んで来る様な感覚を感じた。
とにかく走った。前だけを見ていた。それでもフォームに注意し、上半身が遅れないようにバランスを気にしていた。
「心技体」。全部を出し切ろうと頑張っていた。
35km~40km-22:39 / 857位
時計を見ながら走っていたので、フィニッシュタイムが2時間55分以上になるのは分かっていた。正直、ワタクシにとっては良い記録では無い。また、最後は流しても3時間を切れることも分かっていた。とりあえず合格点のタイムは出せる‥
可も不可も無い平凡なタイムになるのだが、記録を求めて走ってはいなかった。記録では評価出来ない価値を求めていたのだ。まるで、何かに取り憑かれている様に必死になっていた。
陸上競技場へ入り、荒い呼吸と喘ぎ声を上げながら、ただただ走り続けた。
ラストスパートと言えるほどのペースアップは出来なかったが、気持ちだけは攻め続けていた。
そしてフィニッシュ‥
40km~finish-09:44 total-2:57:22(グロス) / 833位 (※公式タイム 2:57:21 でした)
自己評価では70点前後のタイムだったが、努力点を加えて85点ぐらいにしてあげたいレースであった。
レース後に「応援ナビ」で通過順位を確認したが、25km 地点の920位から徐々に順位を上げてフィニッシュでは833位になれたのは評価したい。
↓↓↓ スナップ ↓↓↓
今回は数年に一度の大寒波に見舞われたレースだったが、そんな中でも大会関係者の方々のお陰で無事にレースを終えることが出来た。そして、ボランティアスタッフの方々には大変お世話になりました。
改めて感謝いたします。有り難ううございました。
そして、共に戦った同士達にも感謝し、健闘を讃えたいと思います。
お疲れさまでした!
m(__)m
記録は落ちたとしても、昭和40年生まれ巳年の「青春(?)奮闘記」は、まだまだ続きそうだ。
では、さらばじゃ!”∖(^_^*)
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Shin (木曜日, 08 2月 2018 03:48)
お疲れ様。
よく頑張ったな。
俺も少しは、頑張りたくなったよ。
栗田浩三 (木曜日, 08 2月 2018 06:08)
Shin さん
有り難うございます。少しは頑張ってみたら?
(。・_・。)ノ
韋駄天丼 (金曜日, 09 2月 2018 10:17)
感動しました。最高の「スポ根性」です!
タイムだけじゃない価値を求めて必死に走るって、かっこいいと思います。
とても刺激を受けました。自分も自分のレベルで必死に走りたいと思います。
サブ3、おめでとうございます。それでも85点とはレベルが高いですね。憧れます。
これからも頑張ってください。
栗田浩三 (土曜日, 10 2月 2018 05:38)
韋駄天丼さん、
素敵なコメント有り難うございます。これからも頑張りたいと思います。
m(__)m
田中 (水曜日, 21 2月 2018 10:49)
自分のペース配分を計算した冷静なレース展開はお見事です。そして苦しくなってからも、「心技体」の全てを出し切って走ろうとする姿に感動しました。
自分も「気持ちだけは攻め続けていた」。こんな走りを次に走る、かすみがうらマラソンでしたいと思います。
(((≧◇≦)))
栗田浩三 (水曜日, 21 2月 2018 19:10)
田中さん、
コメント有り難うございます。
自分のペースで走れれば、最後まで攻める気持ちを持ち続けられると思います。それには練習で、
「自分がどれぐらいのキツさに耐えられるのか」
を出来るだけ正確に体感しておきたいですネ。
“かすむがうら”、ワタクシも出場します。お互いに頑張りましょう。
(^◇^)