2回目のトランジッションでも、慎重に時間を気にせずにランに備えた。足はもちろん、スイムでワキ擦れした部位にも念入りにワセリンを塗り、途中でワキ擦れが痛くなるのを恐れてワセリンのケースもお尻のポケットに入れ携行するコトにした。
ランをスタートしてすぐにトイレへ寄り、それから走り始めると時刻は午後2時50分になっていた。
ランコースは、往復21.1kmのコースを2周回する42.2km。フルマラソンより5m長い(?)。
「あとは走るだけ‥」
フィニッシュタイムは12時間50分ぐらいになりそうだった。ザックリと予想して、それよりも速く走れるだろうと思いながらも、今回のフィニッシュタイムが想定していた範囲の遅い方になりそうだったので、気持ちの張りが失せていた。記録よりもレースの場面場面でどう対応するかを楽しむことに重点を置いていたハズだが、やはりタイムも気になっていた。
「と或る52歳の男」が、トライアスロンを12時間半前後のタイムでフィニッシュしようと13時間かかろうと、誰も何とも思わない。第三者が云々は問題ではなく、「と或る男」が自分をどう評価するかが問題なのだが、ここまでの展開では喜べる内容が少なかった。
εεεヘ(; 一一)/
走り出しは体の疲労度を確かめる。補給しながら歩いたりユックリ走ったりして、最後まで待ちそうなペースを探った。
「4時間は切れそうだな」
脚は回っていたが、
「バイクの遅れを取り戻そうと、ランで頑張り過ぎて潰れたら最悪だ」
っとも考えていた。
ランコースは距離表示が少なく、5km毎の表示が無い。エイドステーションに◯◯kmと、半端な距離が表示されているだけなのでペースを気にして走るワタクシにとっては走り難かった。
Bタイプの選手も大勢走っていた。Aタイプの選手は1周目の選手なのか2周目の選手なのかは判らない。周囲は元気な選手もボロボロの選手も入り混じり、それぞれのペースで走っていたが、そんな中を速い方のペースで走っていた。
コースが田んぼの中の農道になると、あの声が聞こえてきた。
「田んぼの中で待ってるゾ!」
のご夫婦だ。
「ココまで来たよ!」
っと、手を振って応援に応えると、不思議と脚が軽くなった。
εεεへ(;^◇^)ノ
1周回目の折り返し点を通過した。復路へ向かうと下りが続くが、脚にはダメージは無かったが、徐々に全身的に元気がなくなってきたので、補給が必要だと感じていた。しかし一方で、摂り過ぎてお腹を下してはイケないと不安も‥4月の“宮古島トライアスロン”でフィニッシュ後にトイレへ直行したことが引っかかっていた。
大会会場へ戻り、1周回が終わった。
ランの前半は2時間かからずに走れた。残り半分でペースダウンしたとしても、4時間は切れそうだった。が、トライアスロンというモノは思い通りに進まないものだ‥この時点で、大きな危機が迫っていたとは知る由も無いのだが‥
スタミナ切れを感じてきた。思い返せば‥バイクから補給を控えめにしていたので、グリコーゲンが枯渇してきても不思議では無かった。が、有酸素運動なので、脂肪燃焼ペースでなら補給しなくても行けるだろうとも考えていた。
金丸のエイドステーションで、バナナを2片(1本分)と握りずし大のお握りを一つ摂った。ランに入ってから初めての固形物の補給だった。飴を舐めながら走り‥田んぼの中であのご夫婦の応援に応え‥しばらく進んだ所で‥いよいよ力が出なくなってしまった。脚にはダメージが無いのに、自然とペースダウンしていた。ガス欠状態だ‥それでも走り続けていたが、やがて恐ろしい程の睡魔が襲ってきた!
lili(;一_一)ilil
この日は午前2時に朝食を摂っていた。その後は一睡もしていなかったので、眠くなるのは当然だと思いながら我慢して走っていたが、目が眩む程の猛烈な睡魔だった。
「ただ事ではない!」
頭痛の様に目が眩む様な睡魔が襲う!
「異常だ!」
どうしたモノかと考えると‥
「低血糖!」
っと言う言葉がひらめいた!
グリコーゲンが枯渇して低血糖になり、睡魔に襲わている‥っと考えた。
低血糖、この状態で頑張るとハンガーノックに陥る可能性があることを知っていた。必死に耐えて走り続けると、最悪の場合死亡するコトがあるのも知っていた。そこまで酷くはないだろうが、現時点で体が過酷な状態に陥りかけているのだと判断し、勇気を持って歩くコトにした。ヒョッとしたら、飴を舐めて急激に血糖値が上がりインシュリンの分泌を促した結果、低血糖に陥ったのだろうか?‥
もしも、この時点で自己ベストを狙えるようなレース展開であったら‥たぶん、走り続けていただろう。そして、いよいよ体が耐えられなくなってから歩くか、場合によっては途中棄権していたかもしれない。が、今回は良い記録を出せないコトが、その時点で決定的だったので、確実に完走することを重視し、完走するために勇気を持って歩くコトにしたのだ。
ロングディスタンスのトライアスロンや100kmウルトラマラソンで走れない状況になったことは何度かあったが、まだ、一度も途中棄権をしていないのが「と或る52歳の男」だ。
‥歩きながら自問自答した。
「楽していないか?」
「もっと頑張れるんじゃないか?」
「全部、出し切らなくては後悔するゾ!」
「‥‥‥」
「‥‥」
「‥」
腰に両手を当て歩いていた。
脚にダメージは無いのに‥歩いていた。
身体の状態を観察し、時計を気にしていた。
「補給してからどのくらいでエネルギーになり運動で使われるんだっけなぁ?」
「‥答えは簡単、体が動き出した時だ!‥それまで歩こうか?」
歩き始めて15分ぐらいで眠気を感じなくなっているのに気が付いた。
「バナナとお握りのお陰かなぁ?」
ユックリと走ってみると‥大丈夫!
「ジョギングペースならばイケそうだ!」
‥折り返し前の長い登り坂も難無く登り切っていた。
折り返しのエイドステーションでは時間をかけて補給した。良く噛んでバナナとお握りを頂いた。
「あと一時間チョッとかなぁ?」
2周目の折り返しを過ぎて、夕空を見上げ考えていた。
「走れメロス」のように、夕日が沈む迄にはフィニッシュできない。
「間に合わないなぁ‥」
毎回のように、フィニッシュが近づくと「走れメロス」を思い出すが、今回は残念な気持ちで夕暮れを迎えていた。
εεεヘ(; 一 一)ノ __〇___
田んぼの中のご夫婦に最後のご挨拶。チョッとだけ立ち止まってお礼を言って握手して頂いた。
「来年も来てよネェ!」
っと、背中からの声に手を振って応えた。
コースを照らす照明に灯が入っていたが、まだ辺りは明るかった。空を見渡したが、星は見えていなかった。蝉の声が秋の虫の声に変わりつつあった‥
低血糖からは回復してきたようで、いつの間にかジョギングペースよりは速く走っていた。もう、問題なく完走は出来るが、タイムは納得出来るモノにはならない。流してはいなかった。総じて見れば、目一杯の走りに見えなくも無かっただろうが、命一杯の走りとは程遠かった。
商店街が近づくとペースを上げ一気に走り抜け、通称「アストロロード」もあっけ無く通過して、フィニッシュ会場へ入った。やはり嬉しくなった!‥この時、その日のレースを一瞬で振り返っていた様に記憶している‥
゚+。゚"o((・o・;))ベ+。゚キラッ
早めに脱帽して、観衆に手を振りながらフィニッシュへと向かい、フィニッシュテープを切った‥
回れ右‥礼!
ラン:4:17:38 / R順位-197位
総合記録:13:01:20 / 総合順位-229位
参加選手データ一
Aタイプ スタート:958人
完走者数:807人 (スイム棄権:3 / バイク棄権:33 / ラン棄権:114 / 失格:1 )
完 走 率:84.2%
【レース後】
レースを自己採点すると、100点満点で60点を合格点とすれば‥
「65点」
っと言ったところだろう。
正直、完走後の嬉しさは少なかったのだが‥反省しながら思い起こせば、レースを楽しんでいる場面が多かった。それに、危機的な状況に陥っても不思議では無い場面を賢く切り抜け、最後はペースアップしてフィニッシュしていた(軽度のインシュリンショックを克服したのだ)。
また、感謝の気持ちを、ずっと持ち続けていたし、応援して頂いた方々のコトも何度も何度も思い出していた。まるで胸の中に応援団を入れて、島中を周っていたかの様に‥
そして、更に気づいたのだが、この“佐渡国際トライアスロン大会”のAタイプを完走したのに、素直に喜べない「52歳の男」がいたのだ!
‥初めての“佐渡トラ”を完走した時は(今よりも3種目とも少しづつ距離が短かったのに)、今回を3分程度(?)上回る記録で完走しただけで、嬉しくて1週間以上満足感に満たされていたことを思い出した‥そして、26歳の時よりも上を目指していたコトに気が付いたのだ。
「あの頃の自分より、レベルアップしているじゃないか!」
それに気が付いた時、嬉しさがジンワリと湧き出す熱さを感じていた。
2017年9月3日に、佐渡ヶ島を舞台に繰り広げられた、「泳いで」「こいで」「走る」、壮大な冒険旅行のようなレースを、と或る52歳の男が完走した話はこれで終わりだ。
では、さらばじゃ!”─=≡Σ((へ( `´)ノ
~完~
スナップ:コスギフォト撮影(オリジナルデータを圧縮し「@コスギフォト」と書き込みました。)
これも忘れられない。美味しく頂きました。
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