ワタクシが“トライアスロン・ジャパンカップ・イン佐渡(当時の大会名)”に初めて出場したのは、1991年の第3回大会だった。調べてみると、以来‥1992,1996,2005,2006,2008,2009,2010,2013,2015,2016年 に出場してきた。今年、2017年で第29回大会になった“佐渡国際トライアスロン大会”は、自身、通算12回目の“佐渡トライアスロン”出場になる(全てAタイプ)。
26年前、1991年はワタクシのトライアスロン-デビューの年で、その年の“佐渡トラ”が、2回目のトライアスロン大会参戦で、ロングディスタンス-トライアスロンのデビュー戦だった。そんなこともあり、この“佐渡トライアスロン”は、ワタクシにとって一番思い入れのある大会になっている。
ここ数年のこの大会では、レース中にトライアスロンをはじめた頃の懐かしい思い出と、四半世紀前の佐渡の風景が頭の中に蘇っている‥ただ、ひたすら懐かしい。
(( ̄◇ ̄°*)) ・゜
今回は、昨年までとスイムの距離が変わり、200m長くなったので、
・スイム:4km
・バイク:190km
・ラン:42.2km
のトライアスロンになった.なった。
レースしながら、佐渡ヶ島の素晴らしいロケーションを楽しんだ足跡をrelive で振り返ってみよう。
☆★click!!★☆⇒リンク先:relive:Morning Sep 3rd Run by Kohzou | Saturday
リンク先の画面中央部の三角印も click!!
どうだろう?ワクワクするのは本人だけだろうか?
(・_・)?
では、この佐渡ヶ島を舞台に繰り広げられた、「泳いで」「こいで」「走る」、壮大な冒険旅行のようなレースを、と或る52歳の男が完走した話をしよう。
栗田浩三。ワタクシ自身が書く文章でしか主人公になり得ない男の、2017年9月3日の話だ。
"o<`~´>o"
【レース】
スイムはビーチスタート。号砲とともにザバザバと浅瀬を沖に向かって走った。いつもの如く、混雑を避けてコースの外側からスタートした。イイ位置取りで泳ぎだしたと思ったとたんに、異変が生じた。呼吸が苦しい!ウォーミングアップで心拍数をしっかり上げておいたのに不調!?2ビートに切り替えペースを落としても息苦しさが治まらない!たまらず、平泳ぎに切り替えて泳ぎながら考えた。
「おかしい!何故だ?」
‥理由が分かった。ウェットスーツの下に着ていたウェアーの胸のファスナーを上まで上げてしまったのを思い出した。スイムは呼吸が激しくなる。胸郭も大きく拡大するのでピッタリとしたウェアーは胸を圧迫して息苦しくするのだ。それを防ぐために、ウェットスーツの下のウェアーは胸のファスナーを開けて着るのだが、うっかりとファスナーを閉じてしまったのだ。ケアレスミスである。
平泳ぎしながらウェットスーツを開いて、ウェアーのファスナーを下した。ペースダウンしてからここまでで、随分と追い抜かれてしまい、混雑した集団の中に閉じ込められていた。
(( ̄□ ̄;))!!
ファスナーを下した途端に息苦しさがなくなり、普通に泳げるようになった。が、集団に囲まれてしまったので思うように泳げない。それでも前へ出ようとスイムバトルを強気で格闘した。900mで1つ目のブイを右に曲がる。コーナーでは混み合ったが、すぐにアウトコースへ逃れて泳ぎやすくなった。戦略では速めのペースでスタートして速い集団に付けたかったのだが、失敗してしまった。しかし、まだ先は長い。4kmのうちの900mを過ぎたところだったので、投げ出さずに順位を上げようと泳いでいた。
レース前に応援して頂いた方々を思い出し、勇気が湧いていた。
有難いことである。SNSやメールでも、沢山の方からメッセージを頂いていたし、直接声をかけて下さった方もいた。ヨワムシなワタクシでも、励まされれば力が湧いてくるモノだ。ヨワムシのままレースしていては良い結果を出せない。
1つ目のブイから2つ目のブイまでは200m、2つ目のブイから900mでスタートした地点に戻る1周2kmの二等辺三角形を2周回するコースは比較的混み合わずに泳げるコースだった。前半で出遅れてしまったが、やがて自分のペースで泳げる集団の中にいたので最初の失敗を気にせずに泳ごうとしていた。
2周目に入ると1周目とは潮の流れが変わっていた。時間の経過で潮の流れは変わるのだ。2周目の方が集団が小さくなったせいか、1周目よりも潮に流されていたようだ。2周目の方が混雑せず泳ぎやすかったのに、周回のラップタイムには大差が無かった。
スイム:1:24:47 / S順位-230位
Garmin でスイムを振り返ってみると、悪戦苦闘した場面を思い出す。皆さんにも画像をクリックしてリンク先を見て頂きたい。
↓↓↓ GarminConnect ↓↓↓
2周目で思うようにタイムが上がらなかったのでショックもあったが、バイクラックへ行くと意外に自転車が多かったので、順位はそれほど悪くないと判断した。
<`~´>!!
‥誰に注目されている分けでもないのに、順位を気にするとは「と或る男」が見栄っ張りな小者であるコトが判る‥
記録重視で臨んでいなかったのでトランジッションはゆっくりと、一つ一つを確認しながらバイクの準備をした。乗車位置までバイクを押して走るのだが、ここでもミス!恥ずかしいミス!格好悪くてブサイクなミス!ナンと、ヨロケて押していた自転車側に転倒してしまった。スイムの後はふらつくモノだが、ヨロケて転倒するのは数十回のレースで初めてのコトだ。おまけにチェーンも外れてしまった。すぐにチェーンをはめられたのでタイムロスは20秒足らずだろうが、追い越して行った選手達には、
「鈍くさいヤツ」
だと思われただろう。
(*´ω`*)
さて、得意とは言えないバイクの出だして大失態をさらしてしまったが、他にもミスがあった‥実はスイムの途中でワキ擦れしてしまい、ヒリヒリと痛さを感じながら泳いでいたのだ。レース前ににワセリンを塗ったのだが、量が少な過ぎたのだ‥つまらないミスが重なってしまった。
~~~~°”べ(@_@;)ヘ"°ヒリヒリ"~~~~
トライアスロンではバイクパートが一番時間がかかりウエイトが大きい。だと言うのに、ワタクシは3種目の中でバイクを一番不得意としている。また、戦略的にも一番押さえている種目でもある。トライアスロンでは繋ぎの種目なので、出し切らないように心がけているのだが、それにしても毎回遅すぎるのだ。
(;´Д`)
今回はバイクを積極的に進めると決めていた。練習量も納得できる内容でレースに臨んでいた。それでも追い抜かれてばかりだったが、少しは追い抜いてもいた。
バイクではロケーションも楽しんだ。大佐渡の景観は素晴らしい。岸壁と海と空の壮大な自然を見渡して、自転車で「キラメく風」になり大自然の一部となる。実は「52歳の男」は、メルヘンティックなロマンティストでもあった‥
(。・_・。)
晴れていたが台風の影響であろう、急に曇ったり、通り雨も降った。強くは無いが風が吹き続けていた。バイクでは風は難敵になる。終始、風の影響を受けていたので、190kmのアップダウンの大きなバイクコースはよりハードになってしまった。
大佐渡には名物の通称「ℤ坂」がある。前半の難所だが、ここに来るのは楽しみでもあった。やはり名物の
「田んぼの中で待ってるゾ!」
っと、元気に応援してくださるご夫婦に会えるからだ。
「有り難う!また後でネ!」
っと、手を挙げながらご夫婦の応援に応えた。本当に有難く、励みになる。
「ℤ坂」と二ツ亀の長い登を過ぎると、つづら折りと小さなアップダウンが続く。気は抜けないが、飽きずに済む。そして平地が続き両津の商店街で大声援を受け、小佐渡へ向かう。小佐渡もインターバルトレーニングのようにアップダウンを繰り返す。ドラフティングしている選手もいたが、ワタクシは絶対にインチキはしない。そうなのだ、「と或る男」は意外に正義感が強いらしい。風とも時々格闘しながら風情の有る海沿いの集落をいくつも通り過ぎ、登って下ってトンネルを抜けて‥を繰り返した。懐かしい四半世紀前の風景を思い起こしながら、整備されて走りやすくなった道路を
「楽になった」
と、思いながらも‥カーブが多く、細く荒れた路面の昔のコースを懐かしく思い出していた。
「ウルトラマンは何処にいたんだっけなぁ?」
↑説明省略:判る方にだけ判って頂ければ充分である。
長いと感じていた。ペースを落とせば楽になるが、身体と相談しながら楽も無理もしないようにペダルを回し続けていた。頸も腰も疲れて痛く辛くなっていた。DHポジションは楽じゃない。ただただ長い‥ストレスから、時々爆発してペダルをガンガン回したくなったが、そうして脚が動かなくなり失敗した経験が何度もあったので、自分をナダメながら冷静になるように努めた。
「我慢、我慢。耐え忍べ」
「精進、精進。」
レースは修行の場でもある。自分と向き合い精進していた。そして感謝。大勢の方々のご苦労を想像し、こうしてレースに出場していられることの有難さに感謝していた。台風や大雨、Jアラートにも妨げられずに大会が運営されていたのだ。また、応援して頂いた方々の言葉やメッセージを思い出していた。こうした方々を胸の中に入れてレースを続けていた。「52歳の男」は、情け深く人情的な面も持ち合わせていた。
ようやく小木からの登り坂がやって来た。後半に最大の難所が待っているのが“佐渡トラ”のバイクだ。国内最長距離で、尚且つハードなコースである。
立ちこぎも使いながら、ギシギシとペダルを踏みつける。あるいはインナーローでクルクル回す‥正に四苦八苦であった。昔のような大声援は無くなってしまったが、ポツりポツりと沿道で応援してくださる方がいたので、応えながら苦闘を続けた。
楽あれば苦あり、苦あれば楽あり。長い下り坂もやって来る。ワタクシは、下りは得意らしい。何故か追い抜くばかりになる。実力と言うよりもメカの差だろうが、テクニックも必要である。子供の頃に、世界を目指して競技スキーをしていた恩恵だと思っている。
痛快な下りを終えると、ラスト10kmは平坦になる。ここで30km/hをキープするのも一つの目標にしていたが、向かい風の影響で少々下回ってしまう場面が多くなってしまったが、声を上げながら呼吸を荒げて健闘できたので、バイクのラストで順位を上げられた。しかし、積極的に行こうと考えていたバイクは平凡な記録で終わってしまった。「と或る男」でも、2年前は 「6:51:25」で走っていたのに28分ぐらい遅い。風の影響も有ったが‥喜べなかった。やはり、「と或る男」は「見栄っ張りな小者」であった。
lili( ´ ;;;;` )ilil
バイク:7:18:55 / B順位-389位 / スプリット:8:43:42 / 通過順位-341位 ※1回目と2回目のトランジットを含む
↓↓↓ バイクのGarminはコチラ ↓↓↓ ※ラップボタンを3分ほど押し遅れています
バイクを終え、最後のランに入るが、一旦ここで区切りを付けよう。長文になってしまったので、ここまでを前編とし続きは後編をお待ち頂きたい。後編では、致命的なミスに成りかねない場面を知的に乗り越える劇的なレースのクライマックスを紹介することになるだろう。そして、レース後に「或る52歳の男」が考えたコトとは‥
では、中休み。さらばじゃ!”∖(^_^*)
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